隣り合わせで生きている
自分コンピュータについて殆ど知らないという人に対し説明をする機会が割と多いのですが、どうも皆さん難しいものだと思い込んでいる節があるような気がします。人は分からないものに対して境界線を引いたり予防線を引いたりする傾向がありますが、それはコンピュータに対しても同じのようで。
例えばメールのスパムやウィルスについて説明した時、通常の手紙では妙な郵便物であってもそれを確認する方法というのは差出人を確認することや、中身を振ったり重さを確認したりとか、透視を頑張るとか(笑)、そうゆうことしかないじゃないですか。けれどそうしたところで、安全性が保障されるわけでもない。確認したところでダメな時はダメなんですよ。
それはデジタルになろうと同じ事なんだけど。
なんでオンとオフ切り分けるのかな、と。例えば社会問題とかもそうなんだけどネットで集団自殺とか、そうゆうの取り上げるたびにだからネットは危険なんだって違うじゃないか。情報がデジタルなだけでそこに存在する気持ちは確かにオフのもので、行動だって発する言葉だって全部現実と代わらないのにな、て思う。
知らないものを知らないまま一方的に危険だと決め付けるのが嫌いなのです。
だから知りたいと思う人にはきちんと教えてあげたいし、自分も知らないことでも調べて伝えたりとか。世の中の情報は、初心者向けを宣伝しながら、デジタルとアナログをやっぱり切り分けていて、要するに専門的過ぎて分からない。アナログもデジタルも変わらないんだよ、て説明をすると安心してもらえるのにどうしてそうしないんだろうかと。思うわけで。
まぁ説明下手だなとか、
ぶっちゃけ日本語へたくそな場合も往々にしてありますが。
(サイトや掲示板とか見てても(教えてgooとか)教えてもらう側も教える側も言いたいことが分からない文章が多すぎる)(そしてそこでコイツバカだなと思う私は冷たい人です)
ちなみに日本語上手くなるには本を読んだり日記を書いたりすればいいと思う。後で自分で読み返せば分かる(笑)
そういえば情景描写とか上手くなるには台詞なしの小説とか書いて見るといいんじゃないかと思う。地文だけで行間も詰めて。そうすると自分がどんだけ情景描写を書いているのかというのが少なくとも分かる。(オリジののどあめみたいなやつ)(まぁ手段の一つとしてね)
ていうかむしろ私が教えてもらいたいんだけど誰か小説講座とかしてください(笑)
例えばメールのスパムやウィルスについて説明した時、通常の手紙では妙な郵便物であってもそれを確認する方法というのは差出人を確認することや、中身を振ったり重さを確認したりとか、透視を頑張るとか(笑)、そうゆうことしかないじゃないですか。けれどそうしたところで、安全性が保障されるわけでもない。確認したところでダメな時はダメなんですよ。
それはデジタルになろうと同じ事なんだけど。
なんでオンとオフ切り分けるのかな、と。例えば社会問題とかもそうなんだけどネットで集団自殺とか、そうゆうの取り上げるたびにだからネットは危険なんだって違うじゃないか。情報がデジタルなだけでそこに存在する気持ちは確かにオフのもので、行動だって発する言葉だって全部現実と代わらないのにな、て思う。
知らないものを知らないまま一方的に危険だと決め付けるのが嫌いなのです。
だから知りたいと思う人にはきちんと教えてあげたいし、自分も知らないことでも調べて伝えたりとか。世の中の情報は、初心者向けを宣伝しながら、デジタルとアナログをやっぱり切り分けていて、要するに専門的過ぎて分からない。アナログもデジタルも変わらないんだよ、て説明をすると安心してもらえるのにどうしてそうしないんだろうかと。思うわけで。
まぁ説明下手だなとか、
ぶっちゃけ日本語へたくそな場合も往々にしてありますが。
(サイトや掲示板とか見てても(教えてgooとか)教えてもらう側も教える側も言いたいことが分からない文章が多すぎる)(そしてそこでコイツバカだなと思う私は冷たい人です)
ちなみに日本語上手くなるには本を読んだり日記を書いたりすればいいと思う。後で自分で読み返せば分かる(笑)
そういえば情景描写とか上手くなるには台詞なしの小説とか書いて見るといいんじゃないかと思う。地文だけで行間も詰めて。そうすると自分がどんだけ情景描写を書いているのかというのが少なくとも分かる。(オリジののどあめみたいなやつ)(まぁ手段の一つとしてね)
ていうかむしろ私が教えてもらいたいんだけど誰か小説講座とかしてください(笑)
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